10月末に山梨県に独りで住んでいた叔父が亡くなったと連絡をもらい、これを書いているのは12/31の大晦日ですが、ずっとバタバタしていました。
というのは、叔父は独り者で身寄りが無かったため、実際に亡くなってから親族の我々に連絡が入ったのが1か月後以上経ってからとなり。わたしたちには寝耳に水でした。
叔父が居住していた自治体が、この人は身寄りがないからと、亡くなった翌々日には火葬されてしまっていたのです。
今回のブログは、気が付いたら叔父がメガネになっていた、という話です…。

最初は熱中症で倒れていたところを通行人に助けられ、救急車で運ばれ、その後合併症などを起こして2週間ほどで亡くなったそうなのです。
それと同時進行で、地域のお友達(民生委員もしている方だった)が、叔父が会合に顔を出さないので心配になり家に探しに来てくれたり、いろいろ骨を折ってくれて。1か月後ぐらいにようやくつきとめて我々にご連絡をくだったのです。
というか、この件で何より驚いたのは、
本人が「自分には身寄りがない」と言うと、本当にお葬式もしてもらえず、いきなり火葬されてお骨になってしまうということですね。
それは確かに、遺体をずっと保存しておくことはできないし。お骨にした方が保存できるとはいえ。
戸籍たどれば、彼の直接のきょうだいは全員亡くなっているけれども。兄嫁が東京で暮らしていることは分かるだろうし、そういうことを調べたりしないんだろうかと思ったんですよね。
それほど深く詳しく調べないんだなあ、ということみたいです。
危うく、無縁仏になってしまうところだったのを、連絡をもらって慌てて対処したわけです。叔父のお骨は甲府の某町の役場から東京に送られ。
12月の頭に、無事に上野のお墓に入ることになりました。何はともあれ、ホッとしました。
わたしはこの叔父のことが、わりと好きだったんですよね。わたしの母の弟にあたる叔父で、子どものころよく面倒を見てもらっていたし。ぜんぜん喋らない寡黙な人だったんですが、やたら高学歴なのに服装や身の回りのことに無頓着で。わたしも子どものころは「叔父さんはセーターに穴開いてるし、きっと貧乏なんだわ」と思ってました。何しろ日本で一番いい大学に行ってるので、貧乏ってことは全く無いんですけどね。でもセーターに穴開いてたので、子どものわたしはてっきり叔父は貧乏なのだと騙されていました(笑)。
お葬式もできなかったなあと、思うところもありますが、納骨式という形で近親者で顔を合わせることが出来たので、それでよかったと思います。
アパートに落ちていたメガネを持ち帰り、家の神棚的なところに納めました。
今日は大晦日なのに、個人的なオチのないコラムで恐縮ですが、
表題のとおり、叔父は独り身だったのだけども、なんだかんだ楽しく暮らしていたようなのです。
いわゆるコミュ障でぜんぜん喋らないので、友達がいる時点で驚いたぐらいで。
薬剤師だったので薬局で働いていて、そこの社長さんも大変な人格者で、本当に良い人たちに囲まれて、けっこう楽しく暮らしていたことが分かり。
関わって良かったなあと思うことしきりです。
で、この叔父が、かなり重度のゴミ屋敷メーカーで(笑)。
アパートを2部屋借りていたのですが、片方があまりにゴミが増えすぎて片づけられず。仕方なしに新しい部屋も借りてそこもゴミ屋敷化させており。2件のごみ屋敷を片づけるプロジェクトをやっています。
生まれて初めて産廃屋に行きました。よい経験させてもらいました。
来年もいいこといろいろありそうです。
今年も1年大変お世話になりました。

