「何だかよく分からないもの」を「何だかよく分からない」まま、とっておく能力はとても大事。

なんだかよく分からないタイトルですが、二回音読すればいいかもです。これは、大学教授の内田樹さんの著書で発見した言葉なのですが、なんとすごい言語化だ! と感動したので紹介しようと思います。

Firefly 「何だかよく分からないもの」を「何だかよく分からない」まま、とっておく能力はとても大事 136334

内田先生の本、けっこう好きです

レヴィナス研究で知られる内田樹先生は、たまにX等で炎上してたりでヤバイ人だと思われている節もある方ですが、著作を読むと独自の視点や発想の話があり、わたしはけっこう好きで、著作をたくさん読んでいます。

今回たまたま読んだこちらの対談本に、すごい言語化があったので「これは!」となりブログを書いているわけです。

本の全体としてはお二人の雑談なんですが、いきなり前書きのところに光る文章があったのでさっそく紹介を。

善く死ぬとは、心の健康を保つこと

まず、内田先生は、心の健康を保つことは「複雑化」と関係があるのではと言っています。
リタイアしている同年代の高齢者たちが、次々に「頑固爺い」と化していくのを見て、内田先生はそれを「複雑な話」をする能力がなくなっている、と看破します。

 僕の同級生たちはもう過半がリタイアしています。まだ自分の現場を持っている人もいますけれど、一線は退いている。でも、一線を退いて、悠々自適になると、態度に際立った変化が起こります。
 頭固になるんです。「頑固い」になってしまう。
 不思議ですよね。世の中の利害得失から超脱した身分になったはずなのに、そういう人ほど「言い出したら聞かない」し、「人の話を聞かない」ようになる。こちらが話しかけても、「そんなことはわかっているんだ」というような興味のなさそうな態度を取るようになる。

(~中略~)

 この人たちは「複雑な話」をする能力がなくなってきているんです。
 新しい変数の入力があった時に、それがうまく既知と同定できない場合、僕たちは自分の手持ちの「方程式」そのものを書き換えます。増えた変数が処理できるように、方程式の次数を上げる。話が複雑になってきた時には自分も複雑になってみせないと対応できないからです。
 これが生物の本性なんです。進化の本質なんです。

年をとると、複雑になるように見えますが、実のところ受け入れ口は狭くなってるっていう話ですよね。
そして内田先生はこう続けます。

 複雑さを処理する基本のマナーは「判断保留」です。「何だかよくわからないもの」というカテゴリーを作って、「何だかよくわからないもの」はそこに置く。
 船に乗っている時、夜の海上に何か揺れるものが見えたとします。何か規則的な動きをしている。でも、鯨か、難破船か、月の反射か、何だかわからない。そういう時に人間は、何かを見たけれど、それが何かを「決定しない」ということができます。「それが何を意味するのかわからないものがある」ということを受け入れる。それができるのは人間だけです。

人間だけができることではないような気もしますが(笑)。この「判断保留」が地味に大切な能力であることは分かります。
そうなんすよね。どうもそれが駄目な行動だと思っていたり、判断保留することが不安と密着しててその不安に耐えられない人とかよくお見かけします。(これは老若男女問わず)

もうこの辺り、あまりに的を得ていた文章だったので、さらに引用してしまいます(笑)。

 老人になることで際立って衰えるのは、この「何だかわからないもの」を「何だかわからないまま」に保持しておく力です。中腰に耐える、非決定に耐える。何か追加的な情報入力があって、自分自身がもっと複雑な生き物になることによって複雑な事態に対処できるようになるまで、判断保富に踏み止まること、年を取るとそれができなくなる。体力気力が衰えると、早く腰を下ろしたくなるんです。中腰つらいから。
(~中略~)
 老いるというのは自己複雑化の努力を放棄することだと僕は思います。いささかきつい言い方になりますけれど。こういうことを老人に向かって言う人はあまりいないみたいですので、あえて自戒を込めてそう申し上げます。

 考え方が固いなあとか、思い込みが激しいなあと感じる方を幾人か思い浮かべるわけですが、たぶん判断保留することができないか、もしくは判断保留することは悪だと思っているんじゃないかなあと思います。
 わたし今まで、そういった方々に対して、なんで一つずついちいち判断するのかな? とか。どうでもいいことに対していちいち「良い」とか「悪い」とか態度を決めるのだろうと思っていたんですが。「これだ!」と思いました。

判断保留を取り入れた方が人生が楽

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文脈からすると、シンプルであることは「退化」で、複雑性を維持していることが「進化」となり、
「退化」と書かれると悪いことみたいに見えてご不快になる方もいると思いますが、
別に退化することもそれはそれで選択肢のひとつだから、あくまで悪いことではないんですよ(笑)。
ここまで書いてきてなんですが。

ただ、ちょっと最後に言いたいのは、内田先生のご意見と一緒で、
複雑性を維持して、「何だかわからないもの」を「何だかわからないまま」に保持しておく力を維持していた方が、圧倒的に生きやすいってことなんですよ。心の健康も保てる。

判断保留できないことが悪いことなのではなくて、判断保留を取り入れた方が人生が楽ってことを言いたいのです。

けっこう世の中ってゆるふわで、どうでもいいこともいっぱいあって。
こうでなければならない、とかも、時代や場で変わるし。人間はけっこう自由に生きられると思うんですけどね…。

これも、人生を楽しく自分のものにするために、あると便利な武器の一つだと思いますが、
たぶん武器だと思う人は少ないんだろうなあって(笑)。
そんな気もします。

ちなみに、紹介した著書は内田先生の最近のものなので、ご自身が「頑固爺い」になっている発言もあり。大変ほほえましいです。人間は完璧じゃないすからね。そうこなくっちゃ、という感じでした。
気になる方はぜひ、、お読みください。