先日、店で友人と食事をしていたら、たまたま近くの席に居た方とお話することになったんですよ。それが、ちょっと盛ってる感じのプロフィールっていうか、いわゆる「おれ昔○○やってたんよ~」系の?
わたしは楽しく聞いてたんですけど、友人がね、その人と別れた後に「あの話、本当だと思う?」って聞いてきて。わたし素直に答えました。
「本当でも本当でなくても、どっちでもよくね?」
なんで本当のこととか「真実」が気になってしまうんですかね…。
人の話の真偽が気になる、世の中の噂話の真偽が気になる、身近な人のよく分からない発言の真偽が気になる…。その気になれば、毎日真偽が気になるものと遭遇できますよね。
で、白黒つけたがる人っているよなあと思うわけです。
嘘なのか本当なのか…。
どっちでもいいじゃないかとわたしは思っちゃうのですが、そうすると話が終了してしまうので(笑)、もうちょっと書きます。
分からないままに放っておけない
そういうことの真偽が気になるのは、たぶん好奇心が強いからというか、「分からないままに放っておけない」ってことなんですよね。
言い換えると、不安が嫌なんだと思います。「明らかにしたい」気持ちが強いってことです。
だって、行きずりの人の発言の真偽なんか、そもそも判定できないですし。
本当のことを知りたい=他人に騙されたくない、という気持ちの表れかもしれないですね。
行きずりの人に騙されても、何も損しないと思うんですけどもね~。
世の中には、あいまいな方がいいこともある
あいまいなベールで包んてでおくことって、優しさのベールで包むことでもあるんですよ(笑)。
衝撃を和らげてくれるというか。
図解しましょう
日々、遭遇することに「白黒つけなきゃ気が済まない人」は、自分の周りにも余地を残さないってことなんですよね。
普段から自分が白黒つけてると、他人→自分に対しても白黒つけられちゃうってことです(!)
そうひとが普段と違うことをすると、すぐに「なんで、そうするの?」って言われちゃう。
反対に、あいまいな人が普段と違うことしてても「何か考えがあるのかな?」って周りの人は思って、何もアプローチしないんですよ。
これ違い分かりますか? すぐに白黒つける人が普段と違うことしてると「なんで? なんで?」って思われちゃうんですよ。
曲がる棒と、曲がらない棒みたいなものです。曲がる棒であれば、石が飛んできたらよけることができますけど、曲がらない棒はよけられない。曲がれないから。
なんでもハッキリさせて、不安を1ミリでもなくそうとすると、実は自分に対しての防御壁を減らしてしまうことにもつながるんですよ。
どっちにでも転がる領域を減らすわけですからね。
できれば、不安はゼロを目指さない方がいいんです。わかんねーけど、まあ仕方ないか、と思っとくぐらいでちょうどよいと思いますよ。
ちょうどよいのが一番です
というわけで結論。
何が何でも不安をなくすぞ! とか、不安とか分からないことはある程度放っておけるようになると、いいことあります。自他に寛容になれます(笑)
明日から、テキトーになりましょう(!)