人の話を聞いていると、わりとよく出てくるパターンがあります。
「寝る前になると、その日あったことを思い出して落ち込むんです」とか、「昔の失敗を急に思い出して、うわーってなる」とか。
まあ、あるあるだなと思うんです。
自分もまったくないとは言えないですし、くよくよ悩むというのは、まあ人間らしい性質ではあるんでしょう。

ただ、最近ちょっと違う見方をするようになりました。
それって、本当に「悩んでいる」んでしょうか。
もう少し意地悪に言うと、
“悩むことで、何かを避けている”可能性はないだろうか、と思うんです。
キーワードは「余白」です。
何もすることがない時間。手持ち無沙汰で、ぼーっとするしかない状態。
いわゆる「退屈」。
これ、案外きついんですよね。スマホも見ず、誰とも話さず、ただ時間が流れている状態って、思っている以上に居心地が悪い。
だから人は、無意識にそこを埋めようとします。
で、その埋め方のひとつが「悩むこと」なんじゃないか、という気がしています。
余白を埋める、という行動のひとつとしての思考グルグル
過去の失敗を思い返す。
さっきの会話を反省する。
言わなくてもよかった一言をぐるぐる考える。
これらは一見ネガティブな行為なんですけども、実のところ、ちゃんと“脳の余白を埋めている”行動になっているんですよね。
脳はしっかり動いているし、意識もそこに向いている。
つまり、「退屈ではない」わけです。
そう考えると、ちょっと逆説的な話になります。
もし今、悩んでいることがあるなら。
その悩みは本当に考えるべきお悩みなのかどうかを、ちょっと立ち止まって「そもそも」を思い浮かべてみたらどうかな、と思うのです。
例えば、単純に忙しくしてみるとか。
体を動かすでもいいし、どうでもいい作業に没頭するでもいい。
極端な話、退屈を感じる暇がない状態を作る。
そうしたとき、その「悩み」はどれくらい残るんでしょうか。
もちろん、全部が消えるとは言いません。
ちゃんと向き合うべき問題もあるでしょう。
でも、もしかするとその中には、
「退屈を埋めるために、ちょうどよく居座っていた悩み」も混ざっているかもしれません。
だとしたら、話は少し変わってきます。
その悩みは、本当に“解決すべき課題”なのか。
それとも、“手放すと手持ち無沙汰になるから持っているもの”なのか。
ここを一度、疑ってみる価値はあると思うんです。
「そんなわけないだろ」と思った方へ。
まあそう思うのも無理はないと思います。
悩みって、本人にとってはちゃんとリアルで、ちゃんと重たいものですから。
でも逆に言えば、だからこそ自分で大事に抱え続けている可能性もある。
少しだけ意地悪な言い方をすると、
あなた自身が、その悩みと付き合うことを選んでいる、という見方もできてしまうわけです。
本当にそれ、必要ですか。
もし「なくなったら困るかも」と一瞬でも思ったなら、
それはもう、ただの悩みではなくて、役割を持った何か、なのかもしれませんよ。

